うわ胸でけぇ。 こんなところで寝ていると風邪を引きますよ。鈴を転がすような声で目を覚ました直後、視界に入った豊満な胸部に率直な感想が洩れた。酔いの回った頭では声になっていたかどうかも分からない。 「…姉ちゃん、こんな夜道で軽々しくオッサンに声掛けたら食われちまうぞ。道端に転がってる酔っ払いなんかほっとけ。」 城崎家を出てそのまま自宅に帰る気にもなれず、適当に入った居酒屋で流し込んだ安酒が胃で燻っている。決して酒は弱くないはずなのに、荒れるだけ荒れた心境のせいか閉店の頃には千鳥足を通り越して立つことすら危うくなっていた。それでもなんとか店を出たが、タクシーを拾いに表通りを出る寸前で力尽きる。寒さは残るが雨は降っていない、久しぶりに路上で朝を迎えてみるかと目を伏せた直後にこの少女は現れたのだ。 「食べてもおいしくないと思いますよ、お兄さんがロリコンじゃないなら。」 そう首をかしげる少女が着ている繊細なフリルのワンピースは黒一色で彩られていて、真夜中だというのに重たげな装飾の日傘を持っていた。その服装と発言に、遠い昔に読んだ小説を思い出す。わずか十二歳の少女に、本気の恋心を抱いてしまう中年男性の話。 「俺がそっちの趣味だったらどうするんだよ、今頃あんた押し倒されてんぞ。」 「どうしましょうね、実行に移されたら考えることにします。」 「…変な女。」 今度ははっきりと声に出ていた。少女は作り物のような睫を瞬かせ三日月を描く。 「朝までこうしているつもりですか?」 「立てねぇんだよ、呑み過ぎて。あんたはなんだってこんなところにいるんだ、どう考えても若い娘がうろつく時間帯じゃねえだろ。」 アスファルトに押し付けた尻が痛い。体勢を変えながら聞くと、少女は考え込むように首を傾げる。やがて口を開いた。 「夜だな、と思って。」 「…へえ。で、その傘は?」 「月明かりが眩しいので、あまり当たっていると帰ってしまいそうになるんです。」 やっぱり、変な女だった。そこらのモデルなんかよりもよっぽど整った顔をしているのに、勿体無い。最も俺は見た目が完璧でも中身が全く伴っていない人種を多く知っているので、あまり驚きはしなかった。 「室内に居ても夜は夜だろ。悪いことは言わねえ、さっさと帰った方がいい。今俺が襲い掛からない保証なんてどこにもねえんだからよ。」 この場面を誰かに見られたら、丸くなったなと笑われるだろうか。赤の他人を心配するお人好しのふりをして、本当にこんな言葉を掛けたかった相手は置き去りにした。丸くなったわけじゃない、逃げるのが上手になっただけだ。 「あなたも早く帰ればいいのに。」 朝露を溜める花びらが声を持ったら、きっとこんな話し方をするのだろう。 「待っている人がいるんでしょう?」 一見儚いのにとてつもなく頑丈な芯を持った、深みのある柔らかな、少女の声に揺さぶられるように記憶が溢れる。 俺が家を出たとき、マナはどんな表情をしていた?置き捨てられた五年前、壊れた彼女には何が見えていた?どくん、どくんと胸が痛む。少女は全てを見透かしたような瞳で、形の良い唇をゆっくりと動かした。 「朝になってもその人が待っている保証なんて、どこにもないの。」 弾かれたように立ち上がる。まだ視界はふらつくが、そんなことはどうでもいい。街の向こうで白い太陽が昇り始める頃、駆ける足は止まらなくなっていた。少女の顔はもう思い出せない。 |