出来る限り、彼女に生き永らえて欲しい。出来る限りでいい。 そのために俺はいる。俺は生きている。 誰も望んでなんかいないことなのに。当の彼女でさえ。 それなのに、俺は。 彼女にこんな残酷な願望を叩きつけている。 生きていて欲しい。けれど、彼女が生きていたいと望んでしまうような事があってはならない。彼女が、出来る限り苦しまずにいてくれたら、俺は、それで――。 「おい、ちゃんと寝てろ。熱が上がったらどうなるか分かってるだろ」 そう言っても彼女は俺にしがみついたまま離れようとしない。抱きつく、と言うよりもそれは母親に必死にしがみつく小猿のような様だ。 ――彼女が俺の名前を呼ぶ。 熱に浮かされているせいか、その言葉には張りがなく何処か幼い印象だ。 ――俺は何気ない言葉で返事をする。 熱い吐息が俺の脳髄を刺激する。そのまま痺れて色んなものが麻痺してしまいそうな程の、刺激。彼女は何も知らない。――何も。それ故に、哀れで愚かで、愛しくて。堪らない。 ――また彼女が俺を呼ぶ。 幼くなんてない、妖艶な甘い声で。 俺の上に跨った彼女の手が、俺の髪に触れる。髪の中に指を挿し入れ、その感触を楽しむように指先で弄ぶ。 彼女の長い黒髪が俺の眼前に流れてきた。その瞬間に漂う、香り。消毒液の臭いと、女性特有の甘い香りが鼻腔に立ち込めた。 そして目の前には、彼女の顔がある。俺の視界全てが彼女で埋められている状態だ。何処に目をやっても、彼女が視界の中にいる。 彼女の存在で、全てが断ち切られている。五感の全てが彼女に支配されている。その、感覚。この感覚を、人はかつて何と名付けたんだろうか。 幸せというのか。 悲しみというのか。 喜びというのか。 苦しみというのか。 それとも、ただの無か。 ――また、彼女が俺を、呼ぶ。 俺は彼女の呼びかけに応えられない。 この感覚を、彼女に教えてはならない。 いずれ彼女を迎えに来るものが、出来る限り残酷にならないように。出来る限り、穏やかなものであるように。 幸せを、彼女に教えてはならない。 |