真雪さんより、玲二×新菜戴きました。


 「玲二、新菜がね。」
 「新菜が来るの、もう帰って?私は新菜と2人でいたい。」
 「ダメ、それに触らないで。新菜がくれたの。」
 事あるごとに真梨香はその少女の名前を呼ぶ。家も、親も、友人も、全てを拒絶し残り少ない時を少女と過ごすことを決めたのは真梨香自身で、俺にはそれに対して意見する理由や義務は無かった。だからと言って全く気にもならないかと言われればそうでもないが、必要以上の詮索をするほどではない。
 謎めいた印象の強い少女、望月新菜とは実際に顔を合わせた回数よりも真梨香から話を聞くだけの方が圧倒的に多い。顔を合わせたとしても世間話にも発展しない挨拶を交わすぐらいだ。が、それだけでも望月新菜が真梨香とは違う意味で異質だということは、ガラスケースに閉じ込められた人形のような容貌と雰囲気で十分に認識できた。
 カタタン、カタタンと流れゆく景色は徹夜明けの頭に心地良く沁み込む。視界の端に写り込んだ、電車内で最低限のマナーとされる携帯の使用不可を完全に無視した男が持つ液晶画面がなければもっと快適の度合いが増すのだが、今は見知らぬ馬鹿に説教をくれてやる気力も体力も残ってはいなかった。画面の上部で電子文字が表示する日付は2月17日。にいな、と口を動かす真梨香が記憶の中でなぞられた。

 改札を出た途端に溢れ返る雑踏に顔をしかめながら、歩き始めた先で待っていたのは下卑た笑い声だった。
 「シカトやめてってー。遊ぼーって言ってるだけじゃん、何もしないし。」
 大きな柱の陰に、だらしなく口元を緩めた若い男2人組みに小柄な少女が囲まれる形で立っていた。中世の貴族が着るドレスを連想させる衣服を纏う少女は、本物の人形になってしまったかのように完全に表情を凍らせていた。大きな瞳を縁取る黒々とした長い睫を震わすことさえもせず、望月新菜はただ一点を注視している。赤の他人ならばいざ知らず、お互いに顔見知りの位置にある人間を見過ごせる状況では無い。異質であっても少女であることには変わりは無いのだから、と一歩踏み出すと霞むような声が耳に届いた。
 「どうして?」
 「えーだって、君めっちゃ可愛いし・・・」
 「どうして醜いのに、私の視界に入るの?」
 見当違いの返答を圧殺する純粋な疑問に、脚の短さを際立たせる服装の男達は口を半開きにさせたまま硬直する。うっかり同情しかけるほど情けない面だった。にこ、と望月新菜が微笑む。それだけでひとつの芸術のように美しいのに、美術品として飾るにはどうにも底知れない妖しさが邪魔をするようだ。
 「美しくないもの、嫌いだから。」
 微笑みを崩さないまま立ち去ろうとするカモを攫んだ男の腕は激昂に震えていた。
 「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、このアマ!大人しくしてりゃいい気になりやがって!」
 折れそうなほど力を込められたか細い自分の腕を、鼻の頭でも見るような目で少女は見下ろす。
 「綺麗じゃないのに、触らないで。」
 「うるせぇ!いいから黙って来い、それ以上ナメた口聞いてっと・・・」
 「お前が捕まるぞ。」
頃合いか、と携帯を片手に割って入る。望月新菜は突然俺が現れたことを訝しむ様子もなく、この面倒な事態を早く終わらせろとでも言いたげな視線を投げつけた。その瞳の中には最早下衆な男達の姿は微塵にも映っておらず、真梨香の前では決して見せない表情に親近感さえ覚えた。
 「なんだぁ?オッサン、正義の味方でも気取りに来たか?」
 「生憎そんな子供騙しに興味は無いが、下衆な笑い声がどうも耳に障るんでな。そしてその子は俺の知り合いの恋人だ、こっちに引き渡して貰わないと騒ぎ立てる奴が居る。分かったらさっさと立ち去れ、そろそろ駅員が飛んでくるぞ。」
 「友達の彼女助けてる俺かっこいーってかー?ふざけたこと言ってんじゃねぇよオッサン、んな弱っちぃ外見で大口叩かない方が身のためだぜ。」
 「貴様より年上であることも外見に関しても否定はしないが、人の助言は素直に聞いた方がいいんじゃないか。通報されてもおかしくない声量だったことぐらいは分かるだろう。」
 腕を触られていることがよっぽど気に食わないのか、望月新菜は眉間に皺を寄せている。少女のこんな表情を見たら、真梨香は慌てるだろうか。珍しいものを見たと喜ぶかもしれない。
 「気に入らねぇなぁ、この女もあんたも。怖いことなんか何もないってその風情、苛立ってしょうがねぇ。」
 吐き捨てるように少女より少し離れている片方の男が俺を睨む。腕に触れている方よりは幾らか知性があるらしい。それを生かせているかは、また別の話だが。
 「お前に気に入られる必要は無い。」
 「そりゃお互い様だな。・・・おい、行くぞ。」
 「え、でも・・・」
 「付き合ってらんねぇ、時間の無駄だ。カモなら他にもいんだろ。」
 渋々といったように少女の腕を放す。望月新菜はやっと解放された自分の肉体を慈しむように擦った。その行動に舌打ちをしてから、二人はその場を離れた。

 「偶然ですね、棗先生。」
 「あまり好い偶然ではないがな。そんな格好をしてるからああいう部類の男に狙われるんだろう、こんな季節に若い女が肌を出すもんじゃない。」
 紺に近い青を基調とした服になんの違和感も無く黒いコルセットが嵌められていることと、華奢なヒールのロングブーツと網タイツが際立たせる脚。何もかもが中学生という称号には似つかわしくない。だけど悪魔のような羽も柔らかそうな黒髪を飾る薔薇の花も、なにひとつこの少女に違和感は与えていなかった。ふふ、と吐息のような笑い声を零す。
 「棗先生、貴方は私が真梨香の恋人だと思っていたんですか?」
 「違うのか。」
 以前、真梨香の部屋で入れ違いになったことがあった。マンションの外まで少女を見送りに来ていた真梨香は俺の姿を見て露骨に嫌そうな顔をしたが、その後すぐに少女に向けた表情は一般的には恋人に向けるものだったと記憶している。二人の首筋に御揃いのようにつけられた赤い痕も、随分と生々しく眼に焼きついた。
 「さぁ、どうでしょう。真梨香に聞いてみたらいかがですか?」
 「そこまで興味は無い。」
 くすくすくす、と不自然にも見える独特な笑い方もよく似合う。
 「これから真梨香に会うのに、このことが知れたら叱られちゃうわ。」
 「他の男に触れられたことか?あいつがそんなに独占欲が強いようには・・・」
 「棗先生が真梨香以外の女の子を叱ったなんて知ったら、また高熱さんと仲良しになりそう。」
 完全に面白がっていることが分かる声色に気を悪くする余裕もないほどその発言には衝かれた。皮肉めいた真梨香の言い回しを完全に使いこなしていることも、発言そのものにも。
 「・・・何が言いたい。」
 「13も年下の女の子に確認したいんですか?」
 やめろ、と叫んでしまいたかった。俺が17年もかけて目を逸らして来た事実を、悪魔の羽を揺らして持ってくるな。す、と雪のように白く冷たい手が俺の頬に触れる。ホームの中で無数に響く足音と目を眩ませるような人の姿を奪い去るような閉塞的な感覚を捩じ込ませる微笑が視界を支配する。
 「男と触れるのは嫌なんじゃなかったのか。」
 払いのけることもできずに、ただその温度を受け入れる自分が酷く滑稽に思えた。
 「私が嫌いなのは美しくないものです。」
 「随分と御大層な評価を頂いているようだが、俺がその美意識に値するとは到底思えんな。」
 「綺麗よ、貴方も真梨香も。お互いから必死に目を背けて、だけどその手は決して離さない。」
 ぎり、と自分の拳が固くなるのを感じる。
 「人が一番美しいのは拙いときです。人そのものが作り出す拙さが、この世で一番美しいんです。誰かが創り出したものは、どんなに不恰好でも完璧なことが前提だから。とてもとても、つまらない。」
 くすぐるように頬を指先で撫でると、それじゃあ、と少女は立ち去った。
 
 13も年下の女の子。真梨香から聞いていた年齢よりもひとつ上になっていることに気づいたのは、深い青が完全に視界から消えてからだった。