「アイシテル。」 「ダイスキ。」 「ドコニモイカナイデ。」 「ソバニイテ。」 そんな薄っぺらい陳腐な言葉を謳う私の元で留まらないで。 「愛してる?」 「何処に居るの?」 「何を見ているの?」 「如何して傍に置いてくれるの?」 そんな軽い言葉すら問い掛けられない臆病な私を赦さないで。 「私だけを見て」 そんな言葉を口にする私を赦して。 【セイレーン】 昨日本で読んだ話。 セイレーンの話。 下半身が鳥で上半身が女の動物の話。 崖や海上で唄を歌っては、船乗り達を海の藻屑にして来た怪物。 その歌声が魅力的だったのか、その歌詞の内容が魅力的なのかは分からなくて。 唄を聞いた人間は皆、船を座礁させてその浅瀬に飛び込んだ。その船乗りは冥界の女王の下へ送られる。 けれど、セイレーンの誘惑に負けなかった人間も居た。それは、オデュッセウスとオルペスの二人だけ。 オデュッセウスは船員の耳に蝋を詰めて、自分はマストに身体を縛って。 オルペスは自分の竪琴の演奏で危機を脱出した。 その本は其処でページが千切れて居た。 誰かが千切ったに違い無い。 話の結末は分からず終いだったけど。 きっとセイレーンは寂しくて。 船員を誘惑してたんじゃなくて、何時か自分を迎えに来てくれる人間を待ってた。 ずっと独りで、草も生えない涸れた崖で。 不確かな答えでも、曖昧な言葉でも無い。 欲しかったのは、自分の傍にいてくれる確かな存在。 それが、まるで私の様にしか思えなかった。 それから数日。 二人揃ってテーブルに並んで座りながら、何時もの様に彼の作ったご飯を食べる。 今日のメニューは、ハンバーグ。 「ねぇ、先生は絶対とか信じる?」 不意の問いに彼は目を丸くして私を見た。 でも、直ぐに元の表情に戻って彼は私に微笑を向ける。 私以外にも向ける社交辞令の様な、その笑みを。 「そうだね、城崎さんは信じてるの?」 疑問で返して欲しい訳じゃない。 答えが欲しい訳でも無いけど。 「それじゃ答えになってない……」 内心で思う事を押し殺しながら、ふざけた様に見せる為少し膨れて席を立った彼を見上げる。 「ごめんごめん……便利だとは思うけど時と場合によるかな」 「例えば?」 「僕の場合は何とも云えないね」 何時もそうやって笑って。 「じゃあ、神様は?」 その瞬間だった。 彼は、何時にない表情をした。 「信じないよ」 はっきりした声が返ってきた。 それは憎しみか、悲しみか、怒りか。どれともつかない声色で。 分かるのは、負の感情を孕んでいる程度。けど、声は重く無くて。 如何してそんな顔するの? 何て聞けなくて。 「……昭仁、怒ってる?」 「どうして?」 「怒ってる様に聞こえたから」 「そんな事ないよ」 「…そっか、なら良かった……」 台所に立ったまま小首を傾げる彼を見ながら無言で首を振った。 勿論口元に笑みを浮かべるのを忘れない。 余計な表情をすると勘付かれて、妙な心配をさせてしまうから。 「さっきからどうしたの?」 今までは、レンが居ればそれで良いと思っていた。 けど、今は違う。 全てが、先生が、彼が、欲しい。 袖に隠し持っていたナイフを指先でなぞる。 これで、彼は私しか見ない。 絶対とか、神様とか、そんな願いはしない。 私は私の意志でこの選択をしたんだから。 「昭仁」 袖口からナイフを取り出す。 果物用だから小さくて、細い。 「どうした、の……」 台所に立ったままの先生の背中へ抱き付く。 明らかに強張る彼の身体。 密着している所為で如実に感じる、詰まる吐息と変化する鼓動。 冷静で居られると思っていたのに。 手からナイフが滑り落ちて、床に落ちると同時。 私は後退りをして、後ろの棚に身体を打ち付けた。 「し、ろさき…さ……」 それと一緒に支えを失った彼の身体は、床に倒れた。 倒れて尚私を見上げて、震えるその手を私に伸ばして来る。 その手に導かれる様にして、震える膝に誘われその場に座り込む。 きっと私は泣いているんだろう。 頬を冷たい物が滑り落ちて、目頭が熱い。 「私を、赦さないで……」 伸びてくる赤く長い指。 きっと、傷口に触れてから伸ばして来たんだろう。 私の頬に触れる大きな手を今込められる限界の力で握った。 縋り付く様に。 「あきひと…しなないで……」 ぼろぼろと涙を流しながらその手を必死に握るしか出来なかった。 自分で刺したにも関わらず、都合が良過ぎるとも思う。 けれど、私はサイレーンの様に謳う。 赦さないで。 留まらないで。 赦して。 此処に居て。 きっとどの願いも、祈りも届かないと分かっているけれど。 頭の良い彼の事だから、きっと気付いて居る筈で。 こうして私に刺される事も想定していて。 私の望む事は全部してくれて。 「 」 最後、微かに呟いた言葉は自分ですら覚えていなくて。 ページの千切れたあの話の終わりは、ハッピーエンドであって欲しくて。 きっとサイレーンにも誰かが迎えに来てくれたんだと、そう思いたくて仕方無かった。 END |