| 『あなたみたいな人のこと、何て言うか知ってる?』 どこからか歌が聴こえた。淡く、今にも消え入りそうなその声は必死で追うように音を奏でていた。身を起こすと、覚えのない毛布が腹にかかっている。表面を撫でて、覚め切らない頭でそろそろ洗濯しないと、と思った。 「要、起きた?」 台所から当然のように顔を出した彼女は、制服のリボンをだらしなく垂らしていた。 「いつ来たんだ」 「ついさっき。レンが、携帯通じないから見て来いって」 「あぁ…」 そういえば充電が切れたまましばらく放置していた。探すより先に、はい、と手渡される。 「電源、入るようにしといたよ」 「さんきゅ」 窓の外では陽が沈みかかっていた。吐く息が酒臭い。昨日はどこで、どれくらい呑んだのだろう。まるで何かにあてつけるように、ずるずるとそんな日々を続けていた。 「シャワー浴びてくる」 コトコトと鳴る鍋を見つめたまま、小さく頷く。換気扇の下で髪が時折揺れて、細い首筋が露になる。眼鏡を外して洗面所の扉を閉めた。 熱いお湯で頭を濡らすと、徐々に昨夜の記憶が蘇ってきた。 「名前、なんていうの?」 「…なんでもいいだろ」 どこの駅裏にもある、安い連れ込みホテルだった。流行のルージュがよく似合う、ぷっくりした唇がやけに癪に障った。ブラウスのボタンを外す手間も惜しく、乱暴に手を突っ込んでは押し返された。 「獣みたい」 「うるせえよ」 抵抗のつもりなのか、長い爪が恨みがましく手の甲をつつく。くすぐったさが煩わしくて手首を押さえ込むと、女は低く呟いた。 「あなたみたいな人によく抱かれるの」 舌の上で女の肌がじとりと濡れる。鎖骨のあたりをなぞると、浅い呼吸を繰り返した。 「ねえ、昔、歌があったでしょう。好きな男の腕の中でも、ちがう男の夢を見るって」 唇を塞ぐついでに歯を立てる。小さな拳が胸を叩いた。 「男の人って可哀想よね。重ねてる罪悪感、どうやっても、捨て切れなくて」 中で動く指に合わせて声が途切れる。額に汗を浮かべた女は、組敷かれてもなお高尚に笑って見せた。 「似てる?」 脚を無理に開かせると、女は途端に口を噤んだ。そこからは特筆すべきことはない。服を着たとき女はシーツに裸体を包めて、泊まっていくと小さな声で言った。万札を何枚か差し出すと、あの唇で器用に咥えた。部屋を出る寸前、何か言われた気がする。そこだけがどうしても思い出せなかった。 「要、味見して」 白い小皿が差し出される。湯気の立つそれをろくに見もしないまま、口の中に流し込んだ。 「…ビーフシチュー」 「正解。どう?」 「美味い」 良かった、と屈託なく笑う。タオルで髪の水気を払いながら、くるくる動き回る背中を眺めていた。 「パンとご飯、どっちがいい?」 「マナちゃんと一緒でいいよ」 「じゃ、パンね」 珍しい話ではない。特定の相手を作らなくなっても排出はしなければならない。相手も同じだ。それにいちいち感情を持っていたら、あっという間に身が持たなくなる。濃いシチューが胸焼けするのは二日酔いのせいで、ご機嫌の横顔を直視できないのは目が疲れているからだ。 「要、座っていいよ?すぐ持ってく」 作業している間に邪魔になったのか、髪を小さく結んでいた。黒の襟元から覗く、白い首筋から視線を外せない。華奢な肩に触れると、ぱっと丸い瞳が振り返った。 「どしたの?」 「…リボン、結ぶか外すかしろよ。シチューつくぞ」 紅の端を掴んで、ゆっくりと引く。しゅるりと衣擦れの音がした。 「あ、ありがと。じゃ、食べようか」 「あぁ」 温度なんて残らなくていい。一晩眠れば忘れてしまう、この会話だけが欲しいなんて、誰かに言う日もきっと来ない。 |