九川さんよりアラビアン・イエロウズ。


近頃、砂漠で盗賊が出るらしい。
その噂に颯太は顔を顰めた。なぜなら、彼の仕事は砂漠の案内人で、盗賊が出るなんてことがあれば稼ぎが減る上に危ない目に遭う可能性が高くなるからだ。
早く捕まるといいけど、といつものように千鶴のところに水を買いに行く。一度の案内ごとに客の人数分水を買うかわりに、水筒の代金は負けてもらうのだ。
「はい、毎度あり! いつもたくさん買ってもらって助かるよ」
「いや、こっちも安く済むし。そういや、井之上もあの噂知ってる?」
今この国じゃあどこもこの話題だろうなと思いながら颯太が聞くと、千鶴は嫌そうに目を細めて応えた。
「あー、盗賊が出るってヤツ? 颯太も気をつけてね」
「何、心配してくれんの?」
「だって、得意客だもん。颯太がいなくなると、稼ぎ減るんだよねー」
「うわ、ひっでえ!」
そんな軽い冗談に、二人は笑う。いつもと変わらないやりとりだった。

「優希、仕事は?」
まるで興味がなさそうに、瞳子は彼にそう尋ねた。
「今は平気。副神官長が大事な用だって人と話してるから、追い払われたよ」
神官でありながら、優希は神に背を向けて、密かなる逢瀬を重ねていた。蛇が絡んだ瞳子の肩に触れて、何事か囁く。暴かれてはならない秘密に、彼は溺れていた。
「ああ、でも珍しい感じの人だったな」
「どういう人?」
「神官には見えなかったし、このあたりでは見かけない顔だったな。それに、お金がどうとかって……寄付金のことかと思ったけど違ったのかな」
なんとなく怪しい雰囲気だった。追い出されるほど大事な用が何なのかというのも気にはなる。けれど、すぐにそのことは忘れた。この限られた時間を有効に使いたいというのが、優希の考えだった。

「死の影が近づいた神の子は玉座を去り、枯れた花を見つめては長い時を想う」
美しい歌声に集まった者はみな魅了される。真梨香もその一人だった。新菜の歌を一度聞いた日から、こうしてたびたび彼女の歌を求めてやってくる。
新菜にしか出せない声。その唯一性に真梨香は惹かれていた。時折こちらを見る麗しい瞳に囚われて、またここを訪れてしまう。
けれど、今日は最後までいることはできない。治療の日だからだ。放っておくと玲二が探しに来るだろう。それは嫌だ、と真梨香は仕方なく仕事場に戻った。
玲二が来るまでは仕事である写本に没頭する。けれど、新菜の歌を聞いてしまった後では、この作業に何の意味があるのかと思ってしまう。人の言葉を写す間に、自分の存在が朽ちていきそうな気がした。
ぼんやりと煙草を吸うと、開いていた扉から入ってきた玲二がそれを攫う。
「やめろと言ったはずだが」
「玲二、うるさい。治療しに来たんであって、説教しに来たわけじゃないだろ」
言っても聞かない真梨香にため息を吐いて、玲二は寝台にうつ伏せに寝転がるよう指示する。
「俺がいなければ、お前はとっくに死んでいる」
精霊の力を借りて身体の中から治療をする精霊医術を使う玲二は、本当なら王族に専属医として召し抱えられてもおかしくはない腕を持つ。けれど、彼は自分の診療所を持っていないし、何より独自のやり方をするので、怖がって治療を受けない者も多かった。
「真梨香。最近、隣国の輩がうろついている。裏で聞いた話では、盗賊の仲間らしい。何もないとは思うが、巻き込まれんよう気をつけていろ」
「はいはい、わかったわかった」
「おい、真面目に人の話を――」

「あれ、佐川んとこの……翼さんだったかい?」
「うん。最近家が仕切ってるバザールの近くで、なんかこの国から来た人を見かけるから気になってさ。この前見たのは、顔に大きな傷がある人だったんだけど、知らないかなあ」
その特徴を聞いて、男は大げさなほど反応した。翼が言っているのは、この界隈では有名な男だった。
「そりゃあ、あれだよ。商い潰しって言われてる男さ。気をつけたほうがいい」
「そうなんだ。父さんにも知らせとくよ」
「それがいい。佐川家に潰れられると、こっちも困るんでね。あの男は、安くて質の悪い品を持ち込んで、他の商人をやってけなくしちまうのさ。それだけじゃない。荒っぽいやり方もしてくるんだが、お偉いさんと繋がりがあるとかで捕まらねえままだ」
「それはほっとけないね。おじさんは大丈夫だった?」
「ああ、でも俺の知り合いが――」
豪商佐川家の次男、佐川翼はそうして男から話を引きだしていった。
全て聞き終えて、翼は頷く。これで情報は揃った。もともとここに来たのは、部下が集めてきた情報を繋ぐ最後の情報を得るためだったのだ。
一刻も早く伝えるために、手紙をくくりつけた鳥を飛ばす。
「瀬田くん、頼んだよ」
もしかしたら、自分が帰る頃には終わっているかもしれない。翼の友人が、派手に暴れるのが好きな国王にこのことを伝えるだろうから。

「城崎さん、ここ間違ってる。ここは、これとこれを足さないと」
鳥が空を飛び国を超えてくる頃、昭仁はマナに勉強を教えていた。今の彼の立場は彼女専用の家庭教師だ。正体を知ってなお、マナの兄である国王は自分を雇っている。けれど、近衛の要は納得しておらず、突っかかってくることも多い。
「先生、鳥が」
窓辺に止まった鳥を、マナが指さした。いつも見つけるのは彼女のほうが早い。
「ありがとう、ちょっと休憩にしようか」
手紙の内容が内容だけに、レンに知らせないわけにはいかなかった。扉の外でマナの護衛兼昭仁の見張りを担う要に 、レンを呼んでもらう。
「お前に言ったって仕方ねぇんだよ。レン君連れてきてって言ってるのがわかんない?」
そう言ったら要に殴りかかられそうになったけれど、手紙を見せたら悔しそうに駆け出して行った。
昭仁はその間に、手紙に再び目を落とす。
盗賊による輸出入の減少。バザール潰しによる経済の混乱。特に豪商佐川家の力が落ちるのは国にとっても損失だ。国庫を動かす必要も出てくるだろう。経済が弱った国は、必然、軍も弱くなる。最後に外から攻撃をかけて手早く侵略するという計画だ。
協力者は都の神殿にいる副神官で、彼は商い潰しの男が国に入るのを手助けしており、隣国の兵がやってくる際も手引きするだろう。副神官は作戦が成功した場合、隣国の宰相からその国の民への布教権を与えられ、多額の金を受け取る約束だった。

昭仁から手紙を見せられて、レンはすぐに準備を始めた。とはいえ、大事にする気はない。民が何も知らないうちに片づけてしまい、隣国との外交の切り札にするつもりだ。
だから、連れてきたのも要一人だった。危ないだとか自分の身分をわかってないだとか要は喚いていたが、聞き流して王宮を飛び出せば、人を呼ぶこともできず追いかけてきた。
「レンさん、そんなんじゃバレますって」
一般的なこの国の衣装に身を包んでも、輝く金の髪が垣間見えれば意味はない。それなのに、近衛の言葉などまるで気にせず、一国の主であるレンは歩いていた。
「つーか、瀬田の言うこと信じるんすか。亡国の王子の作り話とかでしょ、どうせ」
「そうだったらそんとき考えるわ。行ってみてからのお楽しみってことで」
「はあ? レンさん、ちゃんと考えてます? あいつ雇ってるだけでもおかしいのに、マナちゃんの家庭教師なんかにしちまって」
「んんー、そうかもなぁ」
同意しているのは言葉だけで、本当は考え直す気なんてない。要が何度言ってもそれは同じだった。今回もそう。
「ここ、か」
バザールの近くの建物に、地下へと続く階段があった。二人しかいないのに、レンは迷わずその階段を下りる。
そこにいたのは、隣国の言葉を喋る集団だ。奥に積まれた武器、机には違法に持ち込まれた商品が並ぶ。顔つきから、彼らがこの国の人間でないのは明らかだった。
気づかれないままこっそりと机に近づいて、顔に傷のある男の耳元で余裕たっぷりに囁く。
「なーに、内緒話? 俺も混ぜてくれないかしら」
たちまち襲いかかってくる敵に、レンは要を呼びながら対応する。にやりと笑った顔は獰猛で、助けなんかいらないんじゃないかと思わされるけれど、レンはこの国の王だ。守らないわけにはいかない。
「ったく、世話の焼ける!」
楽しんでいる王に振り回されるのは、いつも近衛の要だ。蛍は王宮内のことが主で、お忍びに連れていかれることはない。
今までも自重しろよと思っていたが、今日ほど強く思った日はなかった。
それでも、要の言葉に従う日はおそらく来ない。今日もまた、国王は国を脅かす一味を捕まえて、民にはそうとわからぬよう後で処理を担当する部隊に回収させる。
そうして、民には何も知られないまま、レンは手ぶらで王宮まで凱旋するのだった。
太陽に愛される金の髪を持つ王。彼がいれば、この国は平和だ。














其は甘美な果実となりて

僕の世界はひどく狭い。
瞳子がいれば満たされる箱庭は逃げ場がなくて息苦しいけれど、爪を立てられるような甘美な痛みがあった。
全てを知っているのは二人だけで、誰も干渉できない空間。
この世界を必要とするのは、瞳子も同じはずなのに。
「颯太だ」
違う男の名前。必要ないはずの名前。優位が揺らいで、ゆっくりと薄れていく。
僕の世界を壊す何度目かの電話が、耳触りに響いて堪らなくなる。僕の周りに楔を打ちつけて囲い込んで、獣のように四つん這いに跪かせたら、瞳子は二本の足で外への道を闊歩する。
その細い身体を捕まえて、逃がさないように繋ぎ止められたならよかったのに、僕には手が出せない。
「今日は、いてよ。瞳子」
諦めつつも言ってみるけれど、指一本で制される。心を配るのはその程度で、僕を置いて平然と電話に応えた。
「もしもし。うん、覚えてたよ。行くつもり」
無感情でもその声は僕以外に向けられて、こちらなど見向きもしない。引き倒してひどいことをすれば、気が変わる? それでも、きっと瞳子は行ってしまうだろう。
逃げられないのは、僕。許さないと思うくせに、できもしない妄想で済ませている。やさしさも同情も見せないで、薄い背中が去っていく。引き留めたいと手を伸ばすより、爪を立てて矮小な自分の皮膚を裂いた。
真新しい傷口から赤い果実が浮き出て涙を誘う。
双子の姉を求める僕は、いつだって誰かに嘲笑われながら、その状況を捨てない。冷えた目をした瞳子の姿を思い浮かべて自嘲してみても、胸の内に後悔を探すのは一苦労だ。
それに気づくと、自分の口の端が上がっているのがわかった。
ああ、やっぱり僕にはこの箱庭がお似合いだ。もしかして、瞳子にはそれがわかっていたのだろうか。
さすがにそこまでいくと、現実に即さない妄想だ。だけど、それでもいい。そうして希望的観測を抱いた僕の心臓を、帰ってきた瞳子が視線で冷やすだろう。
その瞬間は、きっとひどく心地良い。