真雪さんより玲真梨。


 私の幼馴染は、赤ら顔が世界一似合わない。
 「酒くさっ…」
 「いいからさっさと中に入らせろ、水を持って来い」
 呂律の回らない舌とずれた眼鏡が情けなさを引き立てている。夏の真夜中に現れた突然の訪問者は、絵に描いたように酔っ払っていた。
 「そこで寝ないでよ、ちゃんと靴脱いで」
 「水…」
 「はいはい」
 ったく偉そうに、と聞こえよがしに呟いて台所に向かう。背後で革靴を脱ぎ捨てる音がした。
 「はいよ」
 右腕を上げるのもやっとの様子でグラスを受け取ると、玲二はミネラルウォーターを一気に飲み干した。煙草を咥えながら細い首筋がごくごく動くのをぼんやり眺めていると、なんだか夢の中にいるような気がした。乱雑なチャイムで起こされたわけでもないのに。
 「もう一杯」
 「お願いしますは?」
 「…早くしろ」
 憎憎しげにそう言うと、ふらふらと立ち上がり壁づたいに歩を進める。手を貸しても断られるだけなので、ボトルをグラスに傾ける。深夜の台所に響く水音はいつも、異様な存在感を持っている気がした。
 「はい」
 ようやく辿り着いた玲二はとんでもなく高価な物を手にしたかのようにグラスを両手で包み、今度は少しずつ口に運んだ。半分まで飲んだところで正気が戻ってきたのか、ずれた眼鏡を外して無造作に置いた。泣き腫らしたように目が赤く濁っている。
 「珍しいね。煙草より似合わないよ、玲二にアルコールって」
 「好き好んで呑んだわけじゃない。客のヤクザに絡まれたんだ、俺の酒を呑むまでは解放しないとな」
 「大変だねえ、闇医者も」
 ボトルを冷蔵庫にしまう。一瞬の冷風に当てられたとき、いつの間にか玲二が持ち込んだ外の熱気が身体に纏わり付いていたことに気が付いた。どこにも触れてはいないのに。こういうことが起こるから、ただでさえ忌まわしい夏がいっそう疎ましくなる。その疎ましさも、あと何度味わえるか分からないけれど。
 「悪かったな、起こしたか」
 「別に。暑くて寝苦しかったから、本を読んでいたんだ」
 机に置いた臙脂色の表紙に触れる。分厚いそれは何度も何度も読み返した、古い童話だった。幼い頃に何度か玲二に読んでもらったこともあるけれど、きっとこの男は覚えていない。
 「…だいぶ視界が鮮明になってきた。邪魔したな、俺が出たらすぐに鍵をかけろよ。度の過ぎた夜更かしは身体に悪い、明日も気温が高いんだからお前はまた体調を崩すだろう。暑くて眠れないならこの前買ってやった氷枕を…」
 「ねえ」
 ぐ、と表紙に爪を立てる。皮に食い込む感触がした。
 「泊まっていけば。明日は新菜も来ないし、何の予定もない」
 蝉が鳴く声も、月の初めに比べればひどく大人しくなっていた。静かな夜は夏の気配を色濃く引き立てる。私がそれを嫌うことを、玲二は誰よりも知っていた。
 「それに、まだ、顔が赤い」
 ごちゃごちゃと理由をつけて、自分自身に言い訳して、なんでもないことのように玲二を引き止める。それに罪悪感を覚えるくらいなら、死んだ方がましだ。でも、今日はおそらく私も酔っている。その原因が酒である必要は無い。
 玲二は白い瞼を少し伏せて、小枝のような指先でグラスのふちをなぞった。そして低く呟く。
 「そうだな。ソファを借りる。お前もさっさとベッドに入れ」
 彼も、ここに留まる理由を抜けきらない酔いのせいにしている。そんなことが手に取るように分かってしまうから、私も目を合わせることができない。
 「そうする。水、二段目に入ってるから。好きに飲んでいいよ。おやすみ」
 「ああ、おやすみ」
 こんな当たり前の挨拶を交わしたのも、随分と久しぶりな気がする。噛み締めた唇に気づかれないうちに、そっと灯を落とした。